フリーターな生き様!

自由選択ってかえって難しい

どうしよう・・・高校卒業したけどさ・・・

 なにせ高校を卒業したはいいけど、進学も就職もしなかった私・・・高校時代に始めたバイトを続けながら趣味に生きていました。
 今でいうフリーターだね。当時からその言葉があったかは不明だが、自宅にいたから出来たことだと思います。

 自由にさせてくれた親に感謝! バイト代から家賃は入れてたけどね・・・
 でも、うちの親はほんとに進路に関しては何も言わない人でした。特に父親が・・・母親は私がフリーター生活が何年か続いたとき、「今後どうするつもりなの?」って聞いてきたことがある。でも、そんな時でも父親が「いいんだ!自分の好きな事をやればいい!」って母親を黙らせていたことがあったわ。

 ・・・これ、実は凄く厳しい。わからないんだもの。自分が何をやりたいのか?何が出来るのか?
 わからないけど、卒業したのに親の脛は齧れない。収入を得なければ!
 そして時代は、バブルよ!当時バブルだったのよ!
 仕事いっぱいよー。ちょっと探せばすぐ見つかる。おかげで早朝から昼まではパン屋で、午後から同人誌専門の印刷会社でバイトしてた時もあったわ・・・

 掛け持ちってやつ・・・何件か面接受けて、最初に採用の連絡がきたのは年末限定のパン屋のバイトだったんだけど、次に同人誌の印刷会社から採用の連絡が来て、他社に決まった事も伝えたんだけど、かなり切迫した人手不足だったらしく、時間短くてもいいから来てくれと頼まれたので、仕方なく両方受けました。
 若かったから体力あるし、後から連絡来た同人誌専門の印刷会社のほうが興味あったのでね!
 パン屋は短期バイトだったし、いけるだろうと掛け持ちバイト踏み切ってみました。

同人誌専門の印刷会社のバイトは大変だったけど楽しかった!

 おかげで、いろんな方の生原稿見てたわ。勉強になりました。
 年末、印刷会社は冬コミに向けての書き入れ時でした。そりゃあ人手欲しいわ・・・午後1時から仕事してたけど、帰りは終電とか当たり前でした。パン屋、朝早かったんだよね~朝5時位に起きてた気がする。短期のパン屋バイトが終わってからは印刷会社一本の9時出社だったけど、やっぱり帰りが遅くなることが多くて、そんなんだから、印刷会社にいた時は趣味の同人活動どころではなかったな・・・読み活専門だったわ。仕事で来る原稿を見る専門でした。これじゃあ、本作れない!って、辞めました。

 でも印刷会社は、なんだかんだ楽しくて2年近くはバイト続けていました。一緒に働いてた人達も自由人で楽しい人達ばかり。大好きでした。
 特に一番影響を受けた、一緒に事務をやっていたお姉さまは、東洋大学の社会学部出身で、その人から大学の話を聞いたり、その人のお勧めの作家さんとかで凄く影響を受けた記憶があります。
 バイト辞めた後、大学受験もチャレンジしたことあったんです。そのお姉さまのお話がとっても興味深く、社会学勉強してみたくなりました、が、普通に落ちました。独学の難しさですね~。
 そりゃそうですよね。思い付きで受験して、これで受かったら、普通に受験勉強してきた人達に受験甘く見るなと怒られるわ。でも、チャレンジしたことは無駄ではなかったと思いたいなっ!!

収入と時間と趣味と

 フリーターでお金を稼げるようになってから、そして、緩いバイトに変更して時間ができてから、自費出版で同人誌作りました。
 まずは、同志として、高校時代の文芸部の仲間と・・・あと、じつは、高校時代に漫画家のあしべゆうほ先生の公式ファンクラブに入っていたので、その時のファンクラグ仲間と。
 なぜに、あしべゆうほ先生のファンクラブに入っていたのかというと、公式で募集していたのをたまたま雑誌か何かで知ったから。
 「デイモスの花嫁」とか、「クリスタル・ドラゴン」(いまだ連載中!)とかを、書いている漫画家先生です。美しいキャラで、絵柄が大好きでした。
 心の師匠、松本零士先生のファンクラブには入りませんでした。てか、探せなかった。もうすでにビックネーム過ぎて、ファンクラブとかの段階ではなかったわ。
 思うに自分耽美系の絵が好きなのね?天野喜孝先生とか、色気のある、切れ長な瞳に惹かれる気がする。あしべ先生の絵も耽美よね~、色っぽ~い・・・
 あしべゆうほ先生が書いてる菊池秀行先生原作の『ダークサイドブルース』の色っぽいこと!もう惚れないわけがない!!続きが読みたひっ!

プロの漫画家さんのアシスタントさんの技

 そのあしべ先生のファンクラブって、先生のアシスタントさんが運営していて、とても面倒見の良い方達でファンクラブの会誌の作成をお手伝いさせてくれたりしました。
 なんでそうなったのかは覚えてないんですが、お宅までお邪魔して、会誌の編集や紙面の作り方や、絵の描き方も教えてもらいました。網掛けのやり方もここで教えてもらえました。本当に感謝です。
 無料で。プロの技・・・ありがたい(合掌)
 その時知り合った他の会員の方と、同人誌出しました。二次制作ではなく、完全なオリジナル作品。
 このブログに掲載している「創造人話」内のストーリーは当時の作品のキャラクター達です。

 二次制作作ったのって栗本薫先生の「魔界水滸伝」本と、久保田利伸の音楽をテーマにイメージしたイラスト漫画とかくらいかな?あとはオリジナルストーリーの作品ばかり。

 で、当時の本、黒歴史として結婚したときほとんどを闇に葬ってしまいました。もう自分が何書いていたか思い出せないのがほとんどだ。
 今思うと、どんなことでも処分するべきではなかった。人間50歳も超えてくると、恥も無くなるんで、とっとけばよかったーーーっ!て後悔してますわ。
 ネタになる。自分落としのネタ。おいしいよね・・・
 いまさら、ブログとかで、創作活動に触れるなんて思ってもみなかったしな~

あれもこれも『自分自身』

 実は、「授かり婚」な私・・・結婚と同時に引っ越しとか、何より子育てとか、これまでの生き方がまったく役に立たない世界に入り込んで、趣味捨てました。
 初めての子育ては、娘がアトピッ子(アトピーで湿疹がひどい子)で夜寝てくれず、育児で忙しかったし、仕事もあるし、オタ活は卒業じゃー!って同人誌処分したりしました。
 ・・・けど・・・あれ、でも、第一回目から「ニコニコ超会議」とかに参加してたし(家族で)、子育て中も「セガのゲームは世界いちいいいっ!」て、「DDCN」(知る人ぞ知る)というメールマガジンに投稿してたし(夫婦で)、ドリームキャストっていう今は亡きセガのゲームハード機で「PSO(ファンタシースターオンライン)」を初期トライアル版から参加してたわ・・・(しかも夫婦で)
 あ~、卒業とか大うそですね。違う形でオタ活してたわ・・・すみません。

 と、いうことで、恥ずかしい過去も「自分自身!」受け入れて認めてあげましょう!そんで、もっと好きな事増やしていこう!

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