自分が経験してきた過去の記録です
【訃報】松本零士先生死去・・・
2023年2月13日月曜日都内の病院で急性心不全により死去。「おばオタ」心の師匠と言える偉大な漫画家を失う。2023年2月20日突然の訃報に衝撃を受けました。勝手に心の師匠と崇めていた「松本零士先生」がお亡くなりになったとニュースが流れたからです・・・その日、「おばオタ」は早々に寝ていたのですが(コンビニバイト早朝なので…)、旦那がわざわざ起こして、教えてくれました。うちの旦那も、如何に私が「松本零士先生」を崇拝しているか知っていたからです。
退職時に贈る「お礼の品」の選び方
『おばオタ的』5年間お世話になった会社の皆さんに贈った「お礼の品」をご紹介、辞める時の贈り物をする気持ち。会社には半年前に退職の意を示して、代わりの人の準備などしてもらったのですが、結局ギリギリまで人員が増えず、コロナの所為で忙しくなっただけに、抜ける事が申し訳なかったです。なので最終日を迎えた時に「お世話になりました。」という気持ちと「申し訳ない。」という気持ちを込めて、贈り物を選びました。
最高の親ってなんだろう?
初めて経験することなんだから未熟なのは当たり前じゃん!成人した子供を持つ親として、この格言にもっと早く出会いたかった!たとえ自分の血を分けた子供だとしても、個として生まれたからには別の人格を持つ他者だ。何をどう感じているかはわからない。
そも、おたくとは・・・?!
50代で「おたく」活動再開!でも最近の「おたく」の意味は?合いだした頃、当時、私への第一印象として(この子スゲーな・・・)ってのがあったらしい。何が?と聞いたら、自ら「私、オタクだよ!」って豪語したことがスゲーことだったそうだ
フリーターな生き様!
どうしよう・・・高校卒業したけどさ・・・なにせ高校を卒業したはいいけど、進学も就職もしなかった私・・・高校時代に始めたバイトを続けながら趣味に生きていました。 今でいうフリーターだね。当時からその言葉があったかは不明だが、自宅にいたから出来たことだと思います。
おばオタの高校生活はパイオニアでした・・・
進路相談した記憶なし!てか、進路選択してないんですけど・・・県立の新設高校一期生でした。自分、昭和のベビーラッシュの中で生まれたせいか、やたら高校が新設されていた時代に当たりました。その中で、たまたま一期生として入学出来る学校があり、受験して合格。通うことができました。
同人誌即売会
初めての二次創作作品発表イベント昭和時代のコミックマーケット 初めてコミケに行ったのは高校生の頃だったかな? かれこれ3✕年以上前・・・え、そんなになるの!わーびっくり! 当時は晴海に国際展示場があって、そこで2日間やってたのが、コミックマ...
わか青春の・・・始まりの時・・・
夢中を見つけた切っ掛けってなんだっけ?を思い出してみる「二次創作の作品を発表してもいいんだっ!」て知ること自分のおたく活動のハシリって、何かな~・・って思い出すと、やっぱ「銀河鉄道999」(著:松本零士)からかなあ~と思いますわ。